2005.10.1発行WIND FROM FUTURE Vol.11
2005.10.01発行
目次
■タービン・ユニットについて。
■ライフディフェンスが新しくなります。
■悪徳リフォーム問題についての見解。
HISTORY OF S ~SEIHO小史~
第11回「全てを任せる」
半年後、モーターの注文は不況の前の水準まで回復すると生産が間に合わなくなっていた。
オイルショック後、捲線の人員を加工先も長崎工場も全て整理していたからである。
月産5万台の生産設備を備える長崎工場といえども、捲線の人員がいないことには対応できなかった。
捲線の技術は長い時間をかけて習得するもの。
ほとんどを協力工場に頼ってきたから、需要が増えたと言って自社工場ではすぐに対応できるというものではなかった。
本社は猫の手も借りたいぐらいで、事業部長以下幹部が連日工場に駆り出されていた。
朝6時に出社して、アルバイトを手伝う幹部の姿は、哀れであった。
協力工場を整理したツケを自分達の体で払わされているのだ。
そのうち社員も毎日本社から、協力工場に出向するようになった。昼間は応援に来た社員が働き、夜は協力工場の社員が働いた。
協力工場は昼夜兼行で捲線を生産した。それを待ってモーターが組み立てられた。
朝になると出来た製品を集めてトラックで空港へ運んだ。
昼までに大阪の松下電器産業に届けないと、大阪本社の製造計画が狂ってしまう。毎朝、飛行機を使っての「自転車操業」が3・4ヶ月続いた。
事業部長から、このゴタゴタが一段落するように相談を受けた私は、モデルチェンジの為、2ヶ月間生産をストップする松下冷機株式会社の冷蔵庫用モーター需要が減るので、その間は長崎工場に余剰人員ができる。その人員を一時的に捲線ラインにもっていけないかと考えていたのだ。
だが、事業部長が相談しても長崎工場長は動かなかった。長崎の再開を好ましく思わない幹部が本社にいて、工場長に圧力をかけていたのだ。
大石が本社に行った折、事業部長が近寄ってきて「工場長をなんとか動かすようにやってくれないか」と言った。
「私は事業部長付営業課長ということになっており、部下は一人もおりません。それでもやれと言われるのなら、専務にお願いして『大石に全てを任せる』と工場長に電話してください」というと、
「よっしゃ、わかった」と事業部長は私を連れて専務の部屋に連れて行った。
事業部長から一部始終を聞いた専務は、すぐに長崎に電話を入れ、「大石君に全て任す」と言って受話器を置き、「これでええやろ。大石君、頼んだぞ」と私の肩をポンとたたいて、ニッと笑った。